プロレス秘宝館

FMWの旗揚げメンバー

1989年10月6日の愛知県霧橋スポーツセンターと1989年10月10日の後楽園ホールのFMW旗揚げ戦、 および、1989年12月1日に開幕したFMW初のシリーズ、バトルクリエーションの6戦に出場した選手を紹介します。

大仁田厚    
181cm。103kg。1957年10月25日生まれ。長崎県長崎市出身。
1973年9月、全日本プロレスに入団。翌年4月14日、対佐藤昭夫戦でデビュー。1982年3月7日、ノースカロライナ州シャーロッテでチャボ・ゲレロを破り、第5代NWA認定インターナショナル・ジュニア・ヘビー級チャンピオンになる。 1985年1月3日、左ヒザ粉砕骨折のため引退。 1989年7月28日、わずか5万円の資金でFMWを設立。 同年10月6日、愛知県霧橋スポーツセンターでFMW旗揚げ第1戦(対青柳政司戦)。 94年5月5日、川崎球場でのノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで天龍源一郎に敗れ引退を決意。 翌年5月5日、川崎球場で凱旋帰国したハヤブサと引退試合。 芸能界に転向したが、96年12月11日、駒沢オリンピック公園体育館でミスター・ポーゴの引退試合を理由にFMWに復帰。

ターザン後藤
178cm。120kg。1963年8月16日生まれ。静岡県島田市出身。
1979年2月、大相撲九重部屋に入門。翌年4月、全日本プロレス入団。 1985年、アメリカ遠征、テネシー、フロリダを転戦。1989年7月、FMW設立に参加。 FMWでの初試合は、1989年10月10日、後楽園ホールの対ビリーマック戦。95年4月、大仁田厚の引退試合直前に突如、FMWを退団。ミスター雁之助、フライングキッド市原と真FMWを結成。 インディーを渡り歩く。FFF、真FMWを経て、97年6月にR2Wを旗揚げ。

浅子文晴 (サンボ浅子)
180cm。150kg。1963年8月27日生まれ。東京都中央区出身。
1981年のサンボ世界選手権大会で第3位、翌年の同大会で第2位の実績を引っさげ、1989年12月1日、大阪府立臨海スポーツセンターの対徳田光輝戦でデビュー。 ヒザの故障悪化のため95年1月5日後楽園ホール、対大仁田厚戦で引退。渋谷に「サンボ浅子の店」を開店。

徳田光輝
181cm。100kg。1968年5月24日生まれ。兵庫県姫路市出身。
柔道家としてFMW参戦。1989年10月6日、 愛知県霧橋スポーツセンターのFMW旗揚げ第1戦の対ジミー・バックランド戦でデビュー。 関東地区のみ参戦していたが、1990年7月16日の後楽園ホールを最後に長期欠場。 91年8月、W☆ING旗揚げに参加。斎藤彰俊、木村浩一朗と闘魂三兄弟を結成。 その後、W☆INGのエースになるが突如引退。 95年、西日本プロレスで復帰したが、長く続かず、フリーを経て、97年からビッグ・フォール・エンタープライズ所属。

モンキーマジック・ワキタ (スペル・デルフィン)
172cm。85kg。1967年9月22日生まれ。大阪府和泉市出身。
1988年、TPG(たけしプロレス軍団)入団テスト合格。翌年3月19日、アムステルダムの対クーリー"クラッシュ"SZ戦でデビュー。日本での初試合は、1989年10月6日、 愛知県霧橋スポーツセンターの対ボートピープル・ジョー戦。1990年3月ユニバーサル・プロレスリング連盟旗揚げに参加。ユニバ崩壊後、93年3月、みちのくプロレス旗揚げに参加。 スペル・デルフィンと改名。

クーリー"クラッシュ"SZ (邪道)
180cm。98kg。1968年9月28日生まれ。東京都港区出身。
1988年、TPG(たけしプロレス軍団)入団テスト合格。翌年3月19日、アムステルダムの対モンキーマジック・ワキタ戦でデビュー。 日本での初試合は、1989年12月10日、後楽園ホールでの対栗栖正伸戦。 1990年3月ユニバーサル・プロレスリング連盟旗揚げに参加。92年11月でユニバを離脱。 邪道と改名。外道と海外を転戦の後、フリーとしてW☆INGに参戦。W☆ING崩壊後、WARに参戦。 冬木道弘、外道と冬木軍を結成。インディーを渡り歩く。

栗栖正伸 (フリー)
175cm。100kg。1956年11月15日生まれ。鹿児島県肝属郡出身。
国士舘大学卒業後、単身渡米してプロレス修行を積み、1972年、帰国して新日本プロレス入門。 1979年、メキシコ遠征。1984年全日本プロレスに移籍。 1988年1月、引退して大阪でスポーツジムを経営するが、プロレスへの情熱やみがたく、FMW旗揚げ第1戦から参戦。 同年5月にFMWを離脱して、6月26日、両国国技館にて新日マットに返り咲く。「イス大王」の異名をもつ。

青柳政司 (誠心会館)    
170cm。95kg。1956年12月27日生まれ。愛知県豊田市出身。
15歳で空手をはじめ、22歳のとき第10回極真空手全日本選手権大会で初出場でベスト16にくいこみ、23歳で独立して「誠心会館」を設立。 1989年7月2日、後楽園ホールの「格闘技の祭典」で大仁田厚と日本人同士初の異種格闘技戦で対戦し、大仁田のイス攻撃による反則勝ち。 その結果に納得いかず、7月28日、全日空ホテル「鶯の間」にて行われたFMW設立記者会見に乱入して大仁田を襲撃。 10月6日、10日のFMW旗揚げ2連戦で大仁田厚と再戦。 12月25日、パイオニア戦士の剛竜馬に挑戦を表明。翌年1月17日、プロ宣言。

永松光弘 (誠心会館)    
180cm。98kg。1966年3月24日生まれ。愛知県知多郡出身。
1987年、全日本ストロング・オープン・トーナメント志道館無差別級で3位入賞。 1989年10月6日、愛知県霧橋スポーツセンターのFMW旗揚げ第1戦でビリー・マックと異種格闘技戦をおこないプロレスデビュー。 12月10日、後楽園ホールにて異種格闘技タッグ有刺鉄線デスマッチで大仁田、ターザン後藤組と対戦。 翌年3月15日からパイオニア戦士に参戦。

斎藤彰俊 (誠心会館)    
178cm。98kg。1965年8月8日生まれ。愛知県名古屋市出身。
1989年12月4日、FMWの半田大会に「実践空手道場対抗試合」のメンバーとして出場。 1992年8月、W☆ING旗揚げに参加。格闘三兄弟の一人。

ジミー・バックランド
183cm。105kg。1962年11月30日生まれ。ミシガン州出身。
1989年10月6日、愛知県霧橋スポーツセンターのFMW旗揚げ第1戦からFMWに参戦。 FMW常連外人。

ビリー・マック
183cm。130kg。
1989年10月6日、愛知県霧橋スポーツセンターのFMW旗揚げ第1戦からFMWに参戦。

ディック・マードック
1989年12月1日に開幕したバトルクリエーション・シリーズに参戦。

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